クイッティアオ一杯での会話

とある東京のタイ料理屋さんにて、クイッティアオを食べたときに思ったこと。


そのお店はこじんまりした店内で2人席のテーブルが4つ。目の前に定員さんがいる近さ。

でも、注文はQRコードからだった。

世の中はどんどんシステム化していく。

タッチパネルやQRコードでの注文もその一つ。

スタッフの業務も減るし、人件費も削れていいと思う。

このご時世もあって会話が少ない方がいいということもある。


だけど、このシステム化はなんだかあっけないなと感じてしまった。

例えばメニューについて聞きたいことがあったけど、QRでの注文なのに結局定員さんを呼ぶことになるのがなんだか申し訳ないような気がして辞めた。

すぐ目の前に定員さんがいるのに…。


気になるメニューがあったけど、わかりきっているクイッティアオにした。

定員さんが話したのは、提供のときの「クイッティアオです。」と、お会計で「1000円です、ありがとうございます」だけだった。

私が話したのは「ごちそうさまでした」のみ。

もうこうなってきたら、だんだん無言で外食する世の中になってしまうのかもしれない。

そんなことを思いながら店を後にした。


このお店を批判しているわけではない。

システム化して便利な一方で、外食っておいしいご飯を食べるだけじゃなくて、ささいな会話とかがあるから家でのご飯とは違う良さがあるんだなと思った。

なぜそう思ったかというと、チェンマイのローカル店はアナログでフレンドリーだから。


チェンマイに住んでいたときの家の近所のクイッティアオ屋さんはとってもアナログでフレンドリー

メニュー表なんてものはないから、席に着く前にキッチン前で定員さんに口頭で注文。

キッチンとテーブルが近く、料理している最中も他愛も無い話をしてくれる。

暇なときは定員さんも客席でお茶飲んでるぐらいのんびりモード。

なんだか、おばあちゃん家に来たような感じだ。

いい意味で昭和感たっぷり。

一杯のクイッティアオを食べるだけなのに、とにかく会話が多い。

2023年でも変わらずのスタイルだったから安心した。


どちらのお店がいい悪いではないけれど、やっぱり私はアナログでフレンドリーなお店が好き。

アナログだと手間はかかるし、その分会話が必要だ。

でも、その会話から発展していってフレンドリーになっているのだと思う。


だから、どんなに便利な世の中になってもチェンマイでこのスタイルは続いてほしい。

そんなことを思った、東京のタイ料理屋を後にした帰り道。